火魂 -- ヒダマ --
ボクは別段、怪奇物やオカルト、幽霊といった非現実的なものに興味はありません。
興味はないのですが、ボクが体験したり、遭遇した事象の中でどうしても理屈では説明のつかないことがあります。
以前、遭遇した火魂も、そんな説明のつかないモノのひとつです。
当時、ボクは田舎の県立高校に通っていました。
学校が終わるとそのまま帰宅する、いわゆる「帰宅部」の学生で、決まって下校時に合わせた定時のバスに乗って帰る、という毎日を送っていました。
・・・夏休みが始まったある年の夏。
ボクは、夏期講習でうんざりしながらも、いつもより一時間ほど早い帰宅バスで帰路につき、終点のバスターミナルから自宅まで15分ほどの道のりを歩いていました。青空に夕焼の橙色がほんの少し滲みはじめた時刻ですから、18時前後だと思います。まだ十分に明るく、空気は澄んでいました。
ターミナルから、長い坂道を歩き、坂を上り切ったところにボクの家はあります。田舎では珍しく、坂の途中や坂の上に家々が密集した集落で、細い路地沿いに数百軒が寄り添うように建っていました。
坂道を登り切り、自宅の屋根が百メートルほど前方に見えたとき、いつもと違う光景にボクは違和感を覚えました。
屋根の上に人が立っているのです。一軒だけではなく、数十軒ほどの屋根の上に人々が立ち、手に手に竿や棒きれを持って、空に向かって振り回しているのです。赤瓦屋根の人などは、かなり危険な体勢で踏ん張り長い竿を振り回しているのです。
「なんで?」
ボクは、傍らで腕組みして傍観している近所の老人に訊ねました。
「火魂・・・人魂が飛んでる」
老人は眉をひそめて言い、西の空を指差しました。
指し示す方角に視線を移したボクは唖然としました。陽が少し傾き、茜がかった西の空にぼんやりと火の球が浮かんでは、ふわふわと屋根すれすれを移動していました。目測で直径1メートルたらずの球形が、燃えながらゆっくりと移動しているのです。色は、ちょうど枯れススキを燃やしたほどの色で、煙は見えなかったと思います。燃えているのですが、形が小さくなりませんでした。
ボクの田舎では、火魂(人魂)が落ちた、あるいは入った家には不幸が訪れたり死人が出る、という言い伝えがあることは知っていました。ただそれは迷信だと信じていました。高校生にもなれば、燐の自然発火や昆虫の集団飛行、プラズマ現象、集団催眠なども知識としては知っていました。ただ、目の前の「火の玉」は、そのどれでもなく、まぎれもないホントの「火魂」なのです。集落の人が集団で催眠状態に陥って、同じ幻覚を見ていることなど絶対にありえません。
映画やテレビで見る「人魂」は、青白い炎が尾を引きながら、ゆらゆらと飛ぶのですが、目前の火魂は球形(完全な球形に見えました)で、燃やした鉄球を空中に放り投げた感じでした。しかもゆっくりと風に流されるようにランダムに飛んでいるのです。
そして、火魂は屋根に人の登っていないある家に吸い込まれるように消えました。偶然かもしれませんが、その家の方(かなりのご高齢でした)が、その日亡くなりました。
驚いたことに、翌日の同時刻ごろにも火魂は現れましたが、どの家にも落ちることなく、東の畑の広がる方向にゆらゆらと去って行きました。そのあとは、一度として現れたことがありません。
後日、シマのおじぃに「火魂(人魂)」の話をきいたところ、
「昔は、もっと当たり前のように現れ、人が連れていかれた(死んだ)。だから家族を守るため、みなん必死に屋根に登り、火魂を近づけないように竿を振った」そうだ。
・・・あの火魂は、今もどこか彷徨っているのだろうか・・・
2011年09月14日 17:17
この記事へのコメント
この頃、よくお話を書いて書いてくださるので、とても楽しみです。
人魂のお話を読んで、思い出したことがあります。何で見たかは忘れましたが、夏目漱石が亡くなる数日前、人魂が漱石家の屋根の上を飛び回っていたのが目撃された、というエピソードです。
私思うに、人魂は亡くなる本人のもので、死ぬ間際になると、体を離れやすくなっているのではないでしょうか・・・・。
人魂のお話を読んで、思い出したことがあります。何で見たかは忘れましたが、夏目漱石が亡くなる数日前、人魂が漱石家の屋根の上を飛び回っていたのが目撃された、というエピソードです。
私思うに、人魂は亡くなる本人のもので、死ぬ間際になると、体を離れやすくなっているのではないでしょうか・・・・。
Posted by ベティーちゃん at 2011年09月16日 10:22