趣味、というほどではありませんが考古学にはちょっと興味があります。
特に白亜紀やジュラ紀といった恐竜が闊歩していそうな時代の古生物の化石には心魅かれるものがあります。
「○○ザウルスの足の骨」とか「翼竜の羽の先端の骨」「古代サメの歯の化石」等々、現代では絶滅してしまった生物を化石の一部から想像するのは楽しいし、ロマンがあると思うのです。絶滅した生物や希少な生き物は、その「一部」でも貴重だし、なにかしらのロマンを掻きたてるものを孕んでいると思うのです。
ただ一方で、それがありきたりのもの、当たり前に存在するものの「一部」には、なにかしらの恐怖や違和感が潜んでいるように思えてなりません。
・・・・こういう体験をしました。
今年三月、ボクは久しぶりに沖縄本島北部の水族館に向かいました。数日間の雨模様の晴れ間で蒸し暑い日でした。
週末や休日の混雑を避け、水族館の展示をじっくり見て回る予定で平日の木曜日を選んで行ったのですが、あてが外れました。当日は修学旅行の一団や海外からの団体、ツアー旅行客など大変な人出でした。
エントランスから入館した途端、すでにすし詰め状態です。最初こそ渋滞の列に並んでナマコやらヒトデやらの展示物を触り、順序よく小さな水槽の魚など眺めていたのですが、なかなか前に進みません。蒸し暑い日に加え、人いきれで管内はいっそう不快指数MAX状態でした。
そのうち、込んでいる展示コーナーは避けて、比較的人の少ない(おそらく人気がないのでしょう)コーナーに移動しました。
向かったコーナーは仄暗く、ブルーのバックライトに「深海の小さな生き物」と記されています。
たぶん深海の高水圧仕様なのでしょうか、小さなキューブ型の水槽が上下二層に20個ほどあり深海の小型生物が個別に展示されています。下の方の水槽は腰をかがまないと見えないほど低い位置にありました。
「ふむふむ・・・」
ボクは、展示された生き物の説明プレートを一個一個読みながら、じっくり観察し、ゆっくりと移動しました。このコーナーだけほとんど足を止める人がいなく、スムーズに見学できました。
・・・と、中ほどの水槽のひとつにボクの足は止まり、目が釘付けになりました。
手、人間の手が水槽の中にあるのです。正確に言うと、10センチくらいの赤いエビ(深海に生息するエビだそうです)を掌に乗せた手が水槽の中にあるのです。
「えっ!」
ボクは目を見開き、見返しました。
確かに水槽の中に手首から先の手があるのです。掌のエビも手も身じろぎひとつしません。手のオブジェにしてはリアルすぎます。肌の色も指紋も毛も爪も毛穴も・・・どう見ても「本物」の人間の手なのです。小さめの男性の手のようです。水の満たされた30センチ四方の水槽の向こう側から手がニョキっと生え、エビをやさしく握っているのです。水槽はアクリル板だと思うので、腕を貫通させられるとは、とても思えません。長時間水に浸かっていたようで白っぽくふやけています。生身の人間の腕を切り落として展示している様なのです。もちろん説明板に「手」のことなど一切触れられていませんでした。
「・・・俺だけ?」
ボクの後ろで、観光客らしき若い男性が覗き込んで呟いています。
「・・・見えるの俺だけじゃないよな?お前も見えるよな?」
若い男性は、となりの男性に確認するように小声で質しています。
「んー・・・」
そう唸ったきり男性は黙っています。
ボクは一旦他の水槽に移動し、何もなかったそぶりで他の展示物を眺めました。もちろん、他の展示物の内容が頭に入るわけがありません。どうしてもさっきの「手」が気になって仕方がありませんでした。ボクは意識して呼吸を整え、さりげなく進路を戻り、極力何気ないそぶりでさっきの水槽を覗き込みました。
・・・やっぱり「手」は存在し、微動だにしていません。深海エビもピクリとも動きません。死んだようにも弱っているようにも見えます。
「・・・弱ったエビを介抱でもしているのかな。・・・それとも人間の手とエビの大きさの比較・・・」
ボクは無理やり自分を納得させるように考えを巡らせましたが、どうも腑に落ちません。
仄暗い「深海の小さな生き物」コーナーの水槽から距離を取り、壁際に寄り掛かってしばらく見学者をぼんやり眺めました。
ほとんどの人が「手の水槽」を一瞥して通り過ぎて行きます。「手」が見えているのか、見えていないのかボクにはわかりません。尋ねる勇気もありませんでした。
その日、もやもやした気分を抱えたまま帰宅しましたが、床についてもあの「手」が頭から離れませんでした。
・・・・翌朝もとうとう、あの「手」が頭から離れませんでした。どうしても「手」のことが気になったボクは、仕事を早めに切り上げ、二時間半かけて水族館に車を飛ばしました。チケットを購入し、他の展示コーナーには見向きもせず、仄暗い「深海の小さな生き物」コーナーへとまっすぐ向かいました。
はやる気持ちを抑えつつ、あの水槽を覗き込みました。
薄暗いアクリルキューブの水槽には、「手」はなく、赤い深海エビが一匹、時折短い触角をゆっくり揺らしながら、ブラックライトに照らされた白い目でただこっちを見ているのでした。