生来の放浪癖なのか旅好きなのか、あちこちの街を訪ねるのが好きです。
中学1年のときに小遣いを貯め、奈良の旧街道沿いを放浪したのを皮切りに、その後毎年のように近畿地方や北陸、日本海側の東北へと足をのばしていました。
旅、といっても、ほとんどがローカル線の電車やバスに乗り、何の変哲もない町で下車し街中を散策し、細い裏路地をウロウロするだけの、行き当たりばったりの行程でした。ただその旅の余韻が妙に心地よく、また次の彷徨へと出掛けるのでした。
幾度となく地方の路地裏を彷徨ううち、あるときフッと不思議な感覚に覚えるようになりました。
初めて訪れた町の、初めての路地なのに、妙に懐かしく見覚えのある風景に出くわすことが時たまあるのです。
それは、どこにでもありそうな街並みや路地なのに、以前訪れたことのあるような・・・昔住んでいたような・・・何か大事な「記憶」を思い出しそうな・・・哀しいくらい懐かしいような・・・そんな感覚なのです。
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京都の産寧坂裏の路地を初めて歩いたとき、これまでに感じたことのないほどの強烈な、はっきりした既視感に襲われました。
産寧坂を下り切り、左の路地へと入ったときのことです。
入り組んだ細い路地は、曲がり角の多い迷路のような感じで、突き当たりの角から先はまったく見えない状況でした。道路ぎりぎりまでせり出した家屋の黒壁や屋根が、いっそうの圧迫感を感じさせていました。
路地の三つ目の角を曲がったとき、視界に入った風景が記憶の奥底からいきなり鮮明に蘇りました。以前映画で観たフラッシュバックのようでした。「見たことがあるような・・・」ではなく「知っている街」の風景なのです。はっきりした記憶でした。
ボクは記憶を試すように、頭の中で思い描きながら歩を進めました。
・・・次の角を曲がると三差路になっていて・・・
前方に板壁で仕切られた三差路が見えてきました。壁に貼られた町内会の連絡板も見覚えがあります。
・・・右の路地へ行くと三件目に瀬戸物屋さんがあり、その隣は漬物屋さんが・・・
当然のように、三件目の瀬戸物屋と漬物屋があります。思い描いた通りの店構えでした。
・・・その路地を抜けて、左に行くと銭湯の煙突が前方の空に・・・
見上げると、やっぱり高い煙突があります。休業中なのか煙は出ていません。
・・・そうそう、神塚ん家が銭湯の向かいだったな・・・
え? 神塚ってだれだ? 同級生だよな。あれ? 何で知っているんだ?
急いで煙突の下の銭湯に行き、向かいの表札を確認しました。家の狭い出入り口の脇に『神塚』という表札が掛かっています。
・・・神塚家から、角の駄菓子屋を曲がって六件目が俺の家で・・・
次の瞬間、ボクは得体の知れない恐怖に襲われ、全身の毛が総立ちました。足がすくみ、それ以上は進めませんでした。これ以上知ると後戻りできないような恐ろしい焦燥感のような感覚も感じました。
ボクは急いで踵を返し、今来た路地を、同じ順序で産寧坂に戻りました。
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何年経っても、あのときの得体の知れない恐怖や焦燥感をはっきりと思い出すことがあります。
そして去年の秋、思い切って、再び京都・産寧坂を訪ねました。あの路地へ行ってみようと思ったのです。街並みはさほど変わった感じはしませんでしたが、なぜか、あの路地の入口が見つからないのです。