北風がびゅーっ、と電線を揺らす季節になると思い起こすことがあります。
今より、ずいぶんと寒かった記憶のある小学校の冬の出来事です。
当時、沖縄でも年に数回霙(みぞれ)が降ることがあり、その出来事も珍しく霙の降った翌日のことでした。
ボクの通っていた小学校は、戦後間もなく建てられた古いコンクリート造りの校舎で、学年毎に二階建ての教室棟が建てられていました。
教室棟の中で最も古いのが三学年の校舎で、ところどころにコンクリートの剥離がおき、中の腐食した鉄筋がむき出しに見えるような状態で、かなり老朽化が進んでいました。校舎の周囲は、建てられた当時に植えられたという夾竹桃が高く生い茂り、紅の花を咲かせていました。
三学年の校舎がいつ建てられたのか、正確な年代は分かりませんが、ひとつだけ他の教室棟と違う造りになっていました。他の校舎は、どこの学校でも見られるような普通の横長二階建ての建物ですが、三学年の校舎だけ少し変わった設計で、幅広で急な階段に広い踊り場、狭い廊下、張り出した戸袋、そして、ぽつんと取ってつけたような小さな三階部分がありました。
三階部分は、急な階段の行き止まりにあり四畳半ほどの部屋になっていました。重厚な木製の引き戸と北側に明かり取りの小さな窓がひとつ付いていました。以前は「音楽準備室」に利用されていた、と聞いていましたが、当時すでに何年も使用されてなく、いわゆる「開かずの部屋」になっていてました。そのためか、入口の引き戸には錆びた太い鎖と錠前が三個、大げさなほど頑丈に施錠されていました。
--- 霙の降った翌日の放課後 ---
北風の吹きすさぶ寒い日でした。低く垂れさがった曇り空が陰鬱な気分にさせていました。
ひとりの一年生が校舎横から、あの「音楽準備室」の窓を見上げ、「誰かいる」と叫んだのが発端でした。
たまたま通りかかった四年生だったボクを含め、8人ほどの児童が窓を見上げました。しかし、窓の曇ガラスに当然ながら人影など見えません。
訝しげに、その一年生の男の子を振り返って見ると、
「いるよ。だって、ピアノの音と女の子の歌が聞こえるもん」と言うのです。
「ほんとかぁ?」
ボクは、半ば疑いながら訊ねると、男の子は真剣な顔でうなずき窓を見つめるのです。
冗談とは思えない表情に、ボクは再び窓を凝視し集中しながら耳を傾けました。
ぴゅぅぴゅぅ、と北風が電線を鳴らしているだけでした。
「ほら、何もいないし、聞こえないじゃないか。たぶん風の音が・・・」
と言いかけたとき、一陣の強い北風が一層高い音で電線を鳴らしたのと同時に、かすかにピアノの鍵盤を叩く音が「ポーン!」と聞こえたのでした。北風にかき消されて気付かなかったのですが、確かに耳をそばだてるとピアノの旋律が聞こえるのです。聞き覚えのない、かすかなメロディーでした。
風音とはまったく違う旋律が、風にかき消されては聞こえ、奏でては消え・・・を繰り返しているのです。あの「音楽準備室」から流れているのです。本物のピアノのある音楽室はグラウンドを挟んだ反対側なので、そこからの音漏れはありえませんでした。
周囲は騒然となり、児童が集まってきました。ボクには聞こえなかったのですが、「女の子の歌声」もピアノの音に乗って聞こえる、という子も何人かいました。
ボクと友人の三人が意を決して、音の正体を確認しに校舎の急な階段を恐る恐る上り、重厚な引き戸の曇りガラス越しに中を覗きました。
薄暗くなった「音楽準備室」の室内は古い書類や机、キャビネットなどが乱雑に置かれ、クモの巣とホコリだらけで何もいません。ピアノどころか楽器もありませんでした。
恐ろしいのを我慢して、耳を引き戸にあて、中の「音」を慎重に拾いました。ピアノの旋律と女の子の歌声はまったく聞こえなく、風の音だけが聞こえていました。
下校時間をとうに過ぎていたため、先生数人がやってきて、その日は怒られつつ、そこにいた児童全員はしぶしぶ下校しました。
---- 翌日 -----
昨日の出来事は、あっという間に学校中の噂になり、
「昔、当番で音楽準備室に楽器を取りにいった女の子があの部屋でいなくなった」とか「何かを閉じ込めるために頑丈に鍵をかけてある」とか、「異次元の入口だ」とか、いろいろなデマや怪しげな情報が飛び交い授業どころではなくなっていました。
先生方にも動揺があったようで、緊急の職員会議が開かれました。
そして。それから数日後、教員数名で「音楽準備室」の片づけが行われることになりました。部屋をきれいにし、内装をよくし、コミュニティールームにしよう、とのことだったそうです。
ところが、片づけの日、教員のひとりが原因の分からない自殺をしてしまったため、計画は中止になりました。
その後、「音楽準備室」からピアノの音が聞こえることはありませんでしたが、なぜか入口の引き戸には、真新しい頑丈な錠前が追加され、四個の重々しい錠前が大げさに施錠されていたのでした。