都はるみ --- エピソード1  ---

高武森

2011年10月26日 11:57


 映画「孤高のメス」をテレビ放映で観ました。
 
 映画は敏腕の外科医・当麻が田舎の病院に赴任し、その卓越した技術と患者本位の考え方で、現代医療現場の問題点をあぶりだす、といった内容でした。

 ボクが印象に残ったのは劇中の一場面。主人公が執刀する手術(オペ)の際、BGMとして都はるみを選曲して流したことでした。


 実は、都はるみの「歌」には鮮烈な想い出が二つあります。


 ---- エピソード1 -------

 ボクの父親は漁師でした。
 沖縄で南洋景気といわれた昭和の中ごろまで、遠洋漁業の鰹船に乗っていました。

 その頃の遠洋漁業は、年間300日以上が海の上。一旦出港すると一年近くも家に帰らない状態でした。

 父親の船も同様で、毎年クリスマスの前後に帰港し、正月を迎え、三ガ日が明けるとまた次の航海へと出発する、といった繰り返しでした。一年のうち、年末年始のわずか十日前後しか陸に上がらず、再び長い漁へと出かけるのです。

 鰹漁はハードで、常に危険と隣り合わせの仕事です。船上での病気や怪我は命を落とすことさえありました。そんな環境の中でも水揚げ(漁獲量・収益)を上げなければなりません。



 そんなこともあって遠洋漁業の出港時は、龍神を祀る神社に大漁と航海安全を祈願するのです。
 神社のある岬の沖を船団を組んで何周も回り、漁船にありったけの大漁旗を揚げ、大音響の「都はるみ」を流し、乗組員総出で手を合わせて船上から祈願するのです。祈願とともに、さよならの手を振るのです。

 岬では、船員の家族はもちろん、島人総出で見送ります。手(ティ)サージを高く強く、さよならの手を振ります。ほとんどの人が泣いています。


 船は岬の沖を何周かした後、一隻一隻と船団の輪を離れ、はるか水平線へと消えていくのです。


 都はるみの大音響がいつしか薄れ、波の音にかき消されては、また風に乗ってかすかに聞こえ、そう繰り返しながら、船影が波間に見えなくなるのです。


 ・・・出港すると、船員も家族も、また長い一年が始まります。
 ・・・岬では、不安と淋しさと心配と悲しさと・・・ありったけの感情が取り残されるのです。

 都はるみの歌は、胸を締め付けられる感情の渦を呼び起こすのです。


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