今でもあるのか定かではないのですが、ボクの故郷では「あの世の人々」が集い遊ぶ日時と場所が決まっていました。
「ヒューイ」と呼ばれる年に数回の特別な日々で、その日は「生きている人間」は、そこへ近づいてはいけない、と厳格に決まっていました。古くから伝わる暗黙の掟みたいなもので、子供が禁を破ると親に激しく怒られ、中には許しを乞うために豚をつぶして神拝みをする家もありました。だから、子供はもとより大人もけっして近づくことはありませんでした。
ヒューイの場所は、ウタキや古井戸などの拝所や神女が修行する聖域であったりしました。時として磯の一角や浜辺、あるいはムラ外れの畑のときもありました。どういう経緯で誰が決めるのか分かりませんが、ヒューイが決まるとシマンチュ全員に伝達され、皆が知っていました。
ある年の秋。
ヒューイの場所がボクがよく磯遊びをする浜辺にあたりました。
アダンが生い茂る切り立った崖の下の浜で、岩場と砂浜がなだらかに広がっていました。イノープール(礁池)もいくつかあり、サンゴ礁がよく発達していました。浅いわりに貝類や熱帯魚が多く、絶好のシュノーケリングポイントで、とにかくお気に入りの場所でした。
土曜の午後でした。学校から帰宅したボクは、親に隠れ、すぐさま浜辺に向かいました。
快晴の日でした。大潮の干潮時のイノーはそれはそれは美しく、そこで遊ぶ誘惑がヒューイより勝っていました。何より黙っていればバレないと思っていました。ヒューイは迷信だとも思いはじめていました。
崖下の浜辺へは、集落の北の岬を回り込み、海に突き出た天然の岩のトンネルを通り抜けて行きます。
薄暗いトンネルを抜けると、眩むような陽光が降り注いでいました。薄目を開けると、右手の切り立った崖のアダン葉の照り返しと正面の白い砂浜が夏の名残りを感じさせていました。そして、左手の海は午後の太陽を存分に吸収しながら水平線いっぱいに光っていました。
普段の大潮なら、砂浜やイノーの周辺などで磯遊びする人が多いはずですが、人影はまったくありませんでした。人っ子一人いないのです。快晴の浜辺に誰もいないのです。見渡す限りの沈黙でした。
人気のない浜辺で一人遊ぶのは、ちょっと怖いものがありました。人の姿が見えないこともありましたが、人の声や自動車の音、遠くの船や飛行機の音さえ聞こえません・・・人工的な音がすべて消え去ったようで、余計に恐ろしさを増幅させていました。そして、いつしか繰り返す波の音や風に揺れる葉擦れの音に敏感になっていました。
2、30分ほど磯をウロウロしたでしょうか。唐突に「人工的な音」が聞こえてきました。かすかにですが、崖の上から音が響き、徐々にはっきり聞こえるようになりました。横笛や太鼓の調べのようでした。
「あれ、お祝いでもしているのかな?」
ボクは、聴き耳を立てました。音はどうやら、お祝いというよりお祭りの音楽のようでした。。
沖縄の旋律ではなく、本土の夏祭りなどで流れるピーヒャラピーヒャラといった感じです。時折、和太鼓のリズムがドンドンと響きます。
祭りの音楽は、ますます大きくなり、人のざわめきも混じるようになってきました。お祭りの雑踏の、あのざわめきです。たくさんの人がお祭りを楽しんでいるようでした。
・・・次の瞬間、ボクはいきなり恐怖に襲われました。「ヒューイ」のことが頭をよぎったのです。足がすくみ、全身が硬直した感じで動けませんでした。
と、ピーッと甲高い横笛の音が響いたかと思ったら、すべての音が一瞬で止みました。
立ちすくんだまま、崖の上を見ました。
崖上で何かが動いたように見えた瞬間、大きな岩が崩れ落ち、ボクの横に転げ落ちてきました。
我に返ったボクは、来たトンネルを通り抜け、岬を駆け抜け、一目散に逃げ帰りました。
その後、そこでの出来ごとは、親にも友人にも話せませんでした。
・・・・今ではヒューイが、あるのか無くなったのかさえ分かりません。ただ、あの時のあの瞬間、稀人(マレビト)の存在を感じたのだけは確かなのです・・・・